「辛いんじゃ、ないのか?」
慎太郎は聞いた。いつもの居丈高な口調とは違う、優しさに
満ちた言葉だった。
下を向いたまま、純一郎は力無く首を横に振った。
純一郎の中で何かが音を立てて崩れていく。
もうどうにも止められなかった。
下を向いた純一郎の顎の先から、滴が落ちた。
その滴は、涙と言う名の無言の叫びだった。

そして、くっと上を向いたかと思うと、
「ガラバゴスはいいところ、みたいだね・・・海がきれいで」
こう答えるのが、やっとだった。
「俺の前で虚勢を張るな!」
慎太郎の声に純一郎は顔を上げた。
「・・・そう言ってるだろう、昔から。・・・な」
昔から・・・そうだ、昔はそれでよかった。
が、今は?
「俺はもう、誰にも頼らない、って決めたんだ。」
純一郎は言った。
「大丈夫なんだ、本当に・・・・」
純一郎は崩れ落ちた自制心を、やっとの思いでかき集め、
そう言ったのだった。
顔を上げた純一郎には既に体勢を立て直していた。
人懐っこい微笑まで浮かべている。例の大衆を魅了した無防備な少年のような微笑。
「やれやれ・・・あんたって男は・・・」
仮面。自分の感情をすべて押し隠す仮面。
呆れたように、大袈裟に肩をすくめ、慎太郎も微笑する。

・・・・演じるのに慣れ過ぎたんだ・・・
余りに演じ過ぎて今はどちらが本当の自分なのかわからない・・・

純一郎の微笑の後には、底なしの孤独だけがあった。

だが、演じることの恍惚を、純一郎は人一倍愛してもいた。
「今日も小泉オン・ステージだよな・・・」
濃密な日常のもたらす麻薬にも似た快楽が、
避けがたい虚無から、純一郎を辛うじて救っていた。

雄々しい獅子のように銀髪を振り乱し、力強く腕を降って咆哮する、
「力強い男」に向けられる聴衆の熱狂。
そしてその仮面に相応しい演じ手である自分。
演じ、欺くことの快楽は、麻薬がもたらすそれにも似て純一郎を酔わせる。
しかしその快楽は麻薬と同じく、本当の純一郎をボロボロに蝕む魔薬でもあった。
強い「仮面」の陰で、崩れ落ちそうな「本当の自分」。
他人の目を逃れ、疲れきった体を投げ出す一人寝の浅い眠りの中で、
その悲鳴をかすかに聞いたような気がした。
・・・誰かの前にひれ伏したい。
何もかも投げ出し、さらけ出し、全てを委ねてしまいたい。
それが私の本当の望みなのか?

「・・・くれぐれも無理はするな。いいな?」
純一郎の夢想は肩に置かれた力強い手によって断ち切られた。

伸晃は知っていた。
父とあの人との間に、昔あった蜜月を。
あの人を“男”にしたのは、たぶん父だ。
僕だって、あの人のことが好きだったんだ。
ずっと、あの人と父の蜜月を、物陰に隠れるようにして見ていたんだ。
あの人と父は、いつも僕の手の届かないところにいて、
どんなに手を伸ばしても、伸ばしても、指先すら触れることはできなかった。
だけど今はどうだ?
手を伸ばせば、届くところにあの人はいる。
一度きりのあやまちなんかじゃ嫌だ。
あの人の笑顔を自分だけのものにしたい。
喜びも悲しみも共有したい。
あの頃の父がそうだったように・・・・
あの人が帰国したら、まっさきにこの気持ちを伝えよう。
そう伸晃は決心をすると、妻の用意してくれた野菜ジュースを
ぐっと飲み干した。

「俺は “coward”(臆病者の意)なんかじゃない!」
(断じてない!)
(あんなへっぽこに何がわかると言うんだ!)
慎太郎は、掛けていた眼鏡を荒々しく外した。
「腐れ外道め・・・!」
吐き捨てるように言った。
(それに比べて・・・・)
純一郎の高貴な魂を思った。
(純ちゃんは・・・何というか・・・・その・・・)
純一郎の顔を思い浮かべると、怒りは嘘のようになりを潜めた。
(いや、過去の話だ。)
しかし、一度芽生えかけた甘美な妄想は断ち切り難く、
慎太郎はそんな自分に動揺をした。
「もう誰にも頼らないって決めたんだ。」
あいつの決心を、この耳で確かに聞いたではないか。
(もう俺の役目は終わっているというのか・・・)
それとも・・・?
慎太郎はじっと自分の手を見ながら、
別れ際に手を置いた、純一郎の肩の感触を思い出していた。
昔と変わらない細い肩。
そしてその内にある、純粋で高潔な魂を思う。
しかし、自分はその脆さも知っているのだ。
「もう誰にも頼らないって決めたんだ」
「クソ!!」
消えたはずの怒りがまた込み上げ、慎太郎は拳を机に叩きつけた。
しかしそれは長野の同業者に対してではなく、
自分自身に向けたものだった。

買ったばかりの低公害ミニバンを運転しながら伸晃は考えていた。
かつて銀幕から国民を魅了した叔父。
そして強きリーダーとして都民の圧倒的な支持を得る父。
その華麗なる一族の血は、確実にこの身にも流れている。
(・・・それに)
事実、たった一度のこととは言え、自分はあの人と触れ合ったではないか。
(・・・でも、もしかしたら)
伸晃は大きくかぶりを振った。
あの時の自分が、父の代用品だったとは思いたくなかった。
我知らず、ハンドルを握る手に力が入る。
アクセルを踏む足に力を込めようとしたところでハッと我に返った。
スピード違反で捕まりでもしたら、あの人の足を引っ張ることになる。
それだけは絶対に避けねばならない。
大きく息を吐き、心を静めようと努力する。
そして、その胸の内で静かに決意を固めた。
(たとえ親父と争うことになっても、僕はあなたを・・・)

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