「純ちゃん、今頃何してるかなー」
ぽっぽは夜空を見上げた。
が、見上げた空に星の瞬きはない。
この街の夜は虚ろだ。そして無だ。
早く純ちゃん帰ってこないかなー
純ちゃんの声が聞きたいなー
純ちゃんの笑った顔が見たいなー
純ちゃんと・・・・
純ちゃんと・・・・
純ちゃんと・・・・
ぽっぽの胸は切なさに悲鳴を上げた。
純一郎が一緒にいてくれるのなら、
純一郎さえ側にいてくれるのなら、
この虚無な夜の空さえ、愛しく感じることができるのに・・・

純一郎は純一郎で物思いに耽っていた。
ワシントンポストはさきほど目を通した。
ブッシュ本人には歓待されたが、記事の論調は甘くなかった。
自分があまり好意的に見られていないことに、かすかなショックを覚えた。
米国は米国の見方があり、各メディアにも色んな特徴や見解がある。
日本での支持を過信せずにいようと自分に言い聞かせていたはずだが、やはり失望を感じた。
週末からの激務が身にこたえた。
睡眠不足の上に緊張の連続で、疲れて果てている。
そういえば彼は奇妙なことを言っていたな。
「プライベートなパートナーか…」
自分にはパートナーがいなくなってから長くたつな、とふと思う。
いっそのことイエスと言えばよかっただろうか。
そうしたら米軍基地の問題もうまくいっただろうか。
そんなことを考えてしまっている自分が嫌になった。
気分を切り替えたい一心で、純一郎は電話に手を伸ばした。
「小泉です」
彼は慎重に名乗る。
そして、相手の反応にふふふ、と笑った。
「大丈夫、今は平気だよ」
相手は驚いているようだ。なだめるような口調で純一郎は言を継いだ。
「そう。そんなに話題になってるのか…」
何度か見えない相手に向かってうなづいてみせる。
「わかってるさ。私も一生懸命にやってる。がんばっているつもりなんだ」
それは独り言のようにも聞こえた。
突然、彼は笑い出した。
「そうだなあ、なぜだろうね?急に、君の声が聞きたくなってしまった」
目を細め、純一郎は電話の向こうにいる人物の言葉にうなづく。
「もちろん、大丈夫だ。…ここで負けるわけにはいかないんだ」
力強く彼はうなづいた。
自分自身に言い聞かせるように。
「帰ったらまた話そう。じゃ」
静かに受話器を置き、純一郎は椅子に深く身体を沈み込ませた。
足を組み、両手の指を重ね。
痛みは与えるものでも与えられるものでもない。
痛みは、おのれの中にこそある…。
彼は見えない何かを見据え、来たるべき波への覚悟を新たにしていた。


静かに夜空を飛ぶ政府専用機。
日の丸を掲げたその姿は、初めて自らに相応しい主を迎えて誇らしげにも見える。
既に深夜と言って良い時間だが、この機の主たる男は用意されたベッドには入らず、
座席の窓から外の景色を眺めていた。
空には無数の星に加えて銀色の月がかかり、世界を青く染めながら、
はるか目の下の雲海に機体の影を落としている。
劇的な変化はないが、美しい夜だ。
純一郎の体は疲れていたが、心は窓外の景色に魅せられ、その場を去りがたくなっていた。
自然と、舞台の恋人たちが星空の下で歌っていた、デュエットのメロディが口をつく。
英国で鑑賞したミュージカル、「Phantom of the Opera」の「Think of me」。
切れぎれに、かすかに歌を口ずさみながら、純一郎は久々に鑑賞したミュージカルを思い返していた。
荘厳なオーヴァーチュア。天に届かんばかりの透明なソプラノ。誘うような甘いテノール。
肉体を鍛え上げたダンサーの華麗なステップ。そして、歌姫と青年貴族の恋と、
誰よりも音楽に愛されながら人には愛されなかった男の、悲しくも美しい愛の物語。
やはり、舞台はいい。
現実の世界が吹きすさぶ嵐のようであっても、全てを忘れてのめり込むことができる。
劇場という空間は、彼にとって聖域と言えた。
舞台の上で繰り広げられる物語に、音楽に心を奪われている間は至福の時だ。
例えそれが、ひとときの偽りの時間であっても。
ふと、純一郎の脳裏に一つの考えが浮かんだ。
(もし人生の全てを、その「偽り」で埋めることができたら・・・)
例えば「狂王」、ルードヴィッヒ二世のように。
東欧の森に夢のような城を建て、ワーグナーのオペラに溺れ、謎の死を遂げた悲劇の王。
彼のように現実の全てを投げ打ち、夢の世界だけに生きられたら。
疲れた純一郎にとって、その空想はひどく魅力的だった。
しかしその放蕩の果てに、彼は現実を生きる人間たちに狂人の烙印を押され、
権力の座を追われたのではなかったか・・・?
(私を信じてくれる人がいる限り、私は狂人になるわけにはいかない。)
甘美な空想を断ち切るかのように「変人」、純一郎はきつく目を閉じた。
再びゆっくりと開かれたその黒瞳は何を映し、何を思うのか。
窓からは先ほどと変わらず水のような月光が流れ込み、純一郎の豊かな銀髪を、白い端正な容貌を、
薄い唇に何気なく置かれた、長い指の爪の先までをもくまなく濡らしている。
そんな彼を、晋三はいつものように少し離れた場所からじっと見守っていた。

派手なパフォーマンスや絶叫とは無縁の、「静謐」という言葉が相応しい光景。
いつも国民を鼓舞する熱い言葉を吐き、一国の元首として相応しい気骨を感じさせる彼が、
今は触れれば壊れてしまいそうな人形のように見える。
どちらが本当の彼かと問われたならば・・・晋三は自分の答えに胸が痛んだ。
しかし、職務は果たさなければならない。意を決して歩み寄り、沈黙を破る。
「総理、そろそろお休みになりませんと。」
晋三の声に純一郎は彼を見上げ、人々を魅了するあの微笑を浮かべた。
「ああ、そうだな。」
席を立ち、機内の奥に向かう純一郎の背中は、既に首相のそれだった。
歩み去る主の後姿を目で追いながら、晋三は確信した。
自分は仕えるべき相手を誤らなかった、と。
そして、密かに誓った。
「私は貴方を守ってみせる。」
思わず口をついて出た自分の言葉のあまりの大時代さに、晋三は苦笑した。

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