「あー、いい湯だねえ、平目くん」
露天風呂の湯船の中でくつろぎながら、純一郎は濡れた銀髪をかき上げる。
すると、湯の雫が白く長い首筋を伝い落ちた。
「は、はい!そ、そうですね」
「君、なんでそんなはじっこで入ってるの?」
「いえ、別に…」
「あれ?顔が赤くないか?湯あたりした?」
「だ、大丈夫です。どうぞ自分のことは気にしないでください」
「ふうん。別にいいけど、気をつけてくれよ。俺じゃ君を担いで出られない」
そう言って笑うと、純一郎は湯の中で長々と手足を伸ばしながら眼前に広がる景色に目をやった。
夕暮れ時の湖畔の情景が、湯煙に霞んでいる。
「あれ?」
ザバリと音を立て、いきなり純一郎が立ち上がった。
「どうされました?」
何か異変を認めた純一郎の様子に、平目もザバザバと湯を蹴るようにして近づく。
「あれ、何だろう。君、見えるかい?」
平目は純一郎が指差す方向に目をやった。
「鳥の群れ…ですかね?鳩のように見えますが」
「うん。どこからあんなに飛んで来たんだろう」
鳩の群れは、純一郎たちがいる露天風呂を目指して、真っすぐ飛んできているようだった。

西に傾きかけた日を浴びながら、鳩の群れはみるみる露天風呂に近づいてくる。
するとその反対に、純一郎の隣にいた平目氏は、じりじりと後じさっていった。
先ほどまで赤らんでいた顔色もさめ、湯の中にいるにも関わらず青ざめてきている。
そんな彼の様子を見て、純一郎はもしや、と思う。
「君、もしかして鳩がコワイの?」
「い、いえ。そんなことは…」
そう言っているそばから、言葉の端が震えている。純一郎は、
(ヤスクニの時は、よく平気だったなあ…)と、
屈強な彼の意外な弱点に笑いをこらえながら、その職業意識に感心した。
すると、無数の羽音が純一郎のすぐそばで騒ぎ、同時に何か硬いものが岩にぶつかる鈍い音がした。
「ひっ!」
平目氏は身を守るように、ザブンッと湯の中に体を沈める。
純一郎が振り向くと、沢山の鳩が露天風呂の岩の上に止まっていた。
「やっぱりコワイんじゃないか」
「ち、違います!ただ、その…苦手なだけです!」
と、言いつつ平目氏は岩陰に隠れてしまった。
純一郎はやれやれと肩をすくめると、改めて鳩の群れを見た。
鳩たちは全て、なめし皮のバンドとロープで、木製の椅子のようなものに繋がれていた。
どこかで見聞きした、おとぎ話の主人公の乗り物に、こんなものがあったような気がする。
しかし、現実にこんな物を移動手段に使う人間がいるとは、実際目にしても信じられなかった。
これがもし本当に乗り物であるなら、乗っているべき人物がいるはずだ。
だが、そんな人物はここにはいない。
「…どういうことだ?」
純一郎が腕を組んで考え込むと、鳩の中の一羽が飛び上がり、彼の周りを物言いたげ羽ばたいた。
「なんだ?どうしたんだ?」
他の鳩たちは騒ぐことなく、じっと純一郎とその鳩を見守っている。
どうやらこの鳩が、群れの中のリーダーのようだ。
純一郎がすっと腕を伸ばすと、飛んでいた鳩はその手に行儀良く留まった。
手を引き寄せ、じっくりとその鳩を観察する。
よく見ると、濃い桃色をした華奢な足には、持ち主を示す金の足輪がつけられていた。
その足輪を見て、純一郎は細い目を見開いた。
足輪には、純一郎にも見覚えのある、鳩を模した家紋が彫られていた。
「もしかして、あいつが…?」
そして、ひどく悪い予感がした。指に留まらせた鳩と正面から目を合わせる。
「まさか…落っことしてきたのか!?」
その問いに答えるように、鳩たちは一斉に翼をはためかせた。
純一郎は手早く指に留まった鳩のバンドをはずすと、その鳩を連れて湯船を飛び出した。
「あっっ!総理!!どちらへ!?」
「部屋に戻る!」
叫ぶように平目氏にそう告げ、髪や体を拭くのもそこそこに、浴衣を着て廊下に飛び出した。
「総理!お待ちくださいっっ!」
純一郎の突飛な行動に、職業意識に目覚めた平目氏も、騒ぐ鳩たちに構わずその後に続いた。

激しいノックの音に飯島が慌ててドアを開けると、待ちかねた純一郎は飯島を押しのけるようにして部屋に駆け込だ。
「どうされたんですか、総理?随分お早いじゃないですか」
息をきらせて戻ってきた純一郎に、飯島は驚いたように声をかけた。
そして、純一郎の肩にちょこんと止まった鳥をみて目を丸くした。
「なんですか、その鳩は?」
「すまない!説明しているヒマがないんだ!」
純一郎は飯島が整えた洋服をひっつかむと、浴衣を脱ぎ捨てて大急ぎで着替えた。
そして入ってきた時と同じ勢いで部屋を飛び出そうとしたが、その肩をぐっと飯島に捕まれた。
「ちょ、ちょっと待ってください!どこに行かれるつもりなんです!」
「どこって………!」
応えようとして純一郎は口ごもった。
こんな馬鹿げた話、いかに側近中の側近と言っても、信じさせるのは一苦労だ。
「……ちょっと散歩に」
「なに馬鹿なこと言ってるんですか!そんな濡れた髪のまま外に出たら風邪をひきます!!
それに今日はこれから森さんと会食でしょう!?」
「あ、そうだった…」
飯島に指摘され、純一郎は舌打ちをした。
よりによってこんな時に……。
考え込む純一郎の周りを、鳩がせかすように飛び回る。
太陽はさっきよりもますます西に傾いてきた。
日が沈んでしまったら、鳩たちは飛ぶことができなくなってしまう。
そうなってしまったら…。
純一郎は必死に考えた。
そして、ハッとしたように顔を上げると、
「そうだ!」
と声を上げ、自分の鞄をひっかき回した。

「あった!」
純一郎が取り出したのは、シシローストラップのついた携帯電話だった。
はやる心を抑えながら、一番最初に登録されている番号にダイヤルする。
相手が出ることを祈りながら、発信音に耳を澄ます。
…1回…2回…3回………。
『…もしもし?』
低く抑えた、どこか緊張したような声が応えた。
「もしもし!?俺だ!」
『うん。どうした?何かあったのか?』
「それが、あいつがココに来たらしいんだ」
『来たって…あいつ、軽井沢にいるはずじゃないのか?』
「そのはずなんだが…いや、俺も直接会ったわけじゃないんだ」
『…どういうことかわからんな』
「俺にもよくわからない。ただ俺の勘では、奴は今どこかをさまよってる。多分…泣いてる」
『………』
「俺は今身動きが取れないんだ。だから…」
『…わかった。どうすればいい?』
「お前が泊まっているコテージの裏庭に、すぐに迎えを寄越す。ちょっと変わっているけど、驚かないでくれ」
『大丈夫さ。俺たちより“変わったもの”なんて早々ないだろ?』
「…かもな。とにかく頼む。携帯は飯島に預けるから、見つけたら連絡してくれ」
『わかった』
それで通話は切れた。純一郎は携帯電話を見て小さく頷くと、今度は窓辺に留まった鳩に向き直った。
「いいか。ここから西に行った所に、白い壁のコテージが見えるだろう?そこの裏庭に“俺”がいるから、
あいつの所まで案内してやってくれ。わかったな?」
窓辺に留まった鳩は、純一郎をじっと見つめ、小さな頭を少し傾げた。
が、2、3度力強く羽ばたくと、サッと窓辺から飛び立っていった。
純一郎がその姿を見守っていると、しばらくしてその後を追うように、露天風呂にいた鳩の群れが飛び立って行った。

その影は純一郎が指示した建物に向かって、まっすぐ飛んでいるようだ。
純一郎はほっと胸をなで下ろすと、飯島の方を見やった。
「…どういうことです?」
何が何やらわからず、飯島は呆然とした顔をしている。
純一郎が話していた相手はすぐに分かった。この携帯電話は純一郎と“彼”との専用電話だ。
しかし、話している内容はさっぱりわからなかった。
「実は……」
純一郎は自分の推測を、そっと飯島に耳打ちした。
「そんな馬鹿な!いくらあの方でも…!」
「でも、そうとしか考えられないんだ。確かに馬鹿げたことだと思うけど…」
純一郎は握っていた携帯電話を飯島に差し出した。
「しばらくしたら、“彼”から連絡が入る。君に預けるから、指示に従ってくれ」
飯島は黙って純一郎の手の中の携帯電話を見つめた。
俄かには信じがたい話に、彼は明らかに戸惑っていた。しかし、
「わかりました。お預かりします」
と言うと、携帯電話を受け取り、引き換えに純一郎に乾いたタオルを渡した。
「とにかく髪をよく乾かしてください。本当に風邪をひいてしまいます」
「ああ、ありがとう」
純一郎はタオルを被り、掻きまわすようにして髪を拭いた。そのタオルの陰から、
「本当に馬鹿だよな、あいつ…」
というつぶやきが漏れたのを、飯島は聞き逃さなかった。
その呆れたようなつぶやきには、どうしようもない嬉しさが溶け込んでいた。
それを聞き取った飯島は、純一郎の難儀な性分にため息をつく。すると、
「ぶえっっくしょんっっっ!!」
と、ドアの向こうから盛大なクシャミが聞こえた。
それを聞いて、純一郎は飯島に言った。
「飯島君、悪いけどもう一枚タオルを頼むよ。外の平目君に。それと、誰かと交代して
もう一度風呂で温まってこいと伝えてくれ」
純一郎が言う通り、ドアの外では純一郎の後を追ってきた平目氏が浴衣姿のまま、
鼻水を啜り上げつつ、職務を遂行していた。

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