「もはや一刻の猶予も許されない。これより作戦Jを実行する!」
ここは政府内でも限られた者しかその存在を知らない国立の超先端科学技術研究所。
官邸内の広い空き部屋を利用した、「YF」のコードネームで呼ばれるこの秘密の研究所は、
正式名称すら明らかではないが、国立の複数の研究機関から選抜された若手精鋭を集結させている。
研究所の設立目的は、今後規制立法が予想される、生命倫理上問題がある科学技術について、
他のあらゆる研究機関に先がけて実験を行い、その有用性と危険性を科学的に実証することだ。
そして、目下最大の研究課題は、すでに実用段階を目前にしたクローン人間の行動様式であって、
「作戦J」とは即ち純一郎のクローンを生成し、純一郎の首相としての執務が
一時的に困難になった場合にも、政治的空白を可能な限り回避することを目的とするものである。

研究班は、7月某日に官邸内で本人の同意の下、極秘に採取した純一郎のDNAを特殊装置に注入した。
クローンに記憶の空白が生じることを極力避けるため、このDNA採取は数日おきに行われているという。
こうして、かの旧体制ロボットをも想起させる巨大な特殊装置が轟音とともに作動して半日あまり。
華やかなチャイムの音が鳴り響いた。研究班は純一郎のクローンを生成することに見事成功したのである。

クローン純一郎は、警備上の必要からと称して隠密裡に借り受けてあったイニシャル入りのワイシャツに
渋い黄色のネクタイを締め、ミラ・ショーンのスーツに夏用のメッシュの靴を履いて、
研究班の前に颯爽と現れた。どこから見ても純一郎そのものだ。そこで、研究員のひとりが質問した。
「総理、参議院選挙での自民党の獲得目標議席数はどれぐらいでしょう」
「与党あわせて過半数をとる、これが第一でしょう」
「今度の選挙をどのように名付けますか」
「米百俵選挙!」白衣の研究員たちは手に手をとって、実験の成功を喜びあった。

「しかし・・・俺はどうしてこんなところにいるんだ、飯島君!」
飯島は本物の純一郎と一緒に遊説先にいる。しかも研究室にはひらめたちSPの姿もない。
いったい何が起きたのか。クローン純一郎は俄に言いしれぬ不安に陥った。
もしかしたら抵抗勢力の陰謀によって、自分はこのような部屋に幽閉されているのではないか。
これはまさしく国家の緊急事態に他ならないのではないか。だが、為す術がない。
「総理、少々お待ち下さい」

実験が成功した際には直ちに官房長官が研究室に呼ばれる段取りになっている。
間もなく前髪を踊らせ足取りも軽やかに康夫が研究室に現れた。
「おおっ、総理、お加減はいかがですか。顔色もずいぶんよろしいようで」
マニュアルによると康夫は、過労で静養していることになっているクローン純一郎を見舞い、
回復を喜ぶとともに、その心理的不安を除去するという重責を担っているのである。
「相変わらず疲れているよ。暑すぎるし、第一この日程見てごらんよ、俺は機械じゃないんだから」
康夫は聞いたような言葉が次々と語り出されることに、ひたすら驚きと喜びと満足をおぼえた。
(いやはや、先端技術というのはたしかに恐るべきものだ・・・)

蒸し暑い夜だった。早速康夫は公邸の一室で、クローン純一郎とサミットの打ち合わせをはじめた。
つまり完全に首相である純一郎としてクローン純一郎に接することが肝心なのである。
だが間もなく、彼はこの世にもう一人純一郎が存在するという事実を受け入れなければならない。
そのあたりの辻褄合わせの説明は、マニュアルでは官房長官に委ねられることになっていた。
とはいえここまで本人を忠実に再現できるなら、クローン純一郎にもDNA採取の記憶があるはずだ。
ならばおそらく特別な配慮をするまでもなく、二人の純一郎は直ちに事態を把握するであろう・・・
こう考えて、康夫はすべてを成り行きに任せることにきめた。康夫も本当は楽天的な男なのだ。

外が騒がしくなった。憔悴しきった純一郎が、康夫とクローン純一郎の待つ公邸に戻ってきた。
康夫のこめかみに薄く静脈が浮かんだ。が、結論からするとその判断は実に適切なものであった。
なんとクローン純一郎はすっくと立ち上がると、純一郎にいきなりこう声をかけたのである。
「やあ、おつかれさん!」
純一郎のくすんだ顔が瞬時に明るくなった。
「おっ、きみがこれから遊説に行ってくれるんだね。よろしくね」
「あれ、俺がサミットに行くんじゃなかったの」
「それでもいいよ。だったら俺は明日から夏休みだ。うれしいなあ」
「じゃ、サミットの後は遊説に行ってくれるよね」
「遊説は週3日ぐらいで適当に入れ替わることにしよう。そうしないと死んじゃうよ」
「休みの日には、変装して映画に行ったりCD買ったりもできるかな」
「それはいいね。だけど例のシャツで銀座に出かけるわけにもいかないな」
「うん、着るものはちょっと困るよね。それと床屋に行くときも考えないと」
「この間おいでになったばかりですね、とか言われてね。・・・まあ冷酒でもどう?
 日曜日に長野でこっそり買ってきたんだ」冷やっこい半透明の硝子瓶と小さな切子のグラスが三つ。
「・・・お、行けるねえ。康夫さんも一杯どう?」

「それではお言葉に甘えまして」康夫の喉が小さく鳴った。
しかしこの二人は、生命倫理上最も問題とされるべき実存の危機というものを感じないのだろうか。
実験の総責任者として、ここまでの二人のはしゃぎようは、まったく予期していなかったものだ。
「・・・まあ、これは要するに、長期政権を予定したワークシェアリングのようなものなんですが、
 ええと、さきほどわたくしと打ち合わせをしましたのは、どちらのほうでしたっけ」
ネクタイを外してしまうと、もう見分けがつかない。当然である。
「それは俺なんだけど、何か目印でもつけたほうがいいのかな」さすが、クローンも勘がいい。
「そのほうがありがたいですね。でも指輪というわけにもいかないでしょう」

二人は顔を見合わせた。
「何もしなくていいんじゃないの。でないと意味がないよ」
「じゃネクタイの色だけ決めておこうか。俺が緑と青とモノトーンで、きみが赤と黄色ね」
「ふふふ、鳩山くんとお揃いになるのは俺のほうだな」クローン純一郎はにやりと笑った。
「まあ、それもいいんじゃない」・・・康夫の困惑をよそに、二人は目を三日月にして笑い転げていた。

「わかりました。それではこれからも仲良くおやり下さい。おやすみなさい」
「あ、どうも、お疲れ様でしたっ」満足げに部屋を後にする康夫に、二人は手を振り声を揃えて挨拶した。

お気に入りのパジャマの奪い合いがすむと、マーラーの9番が静かに始まった。

「きみが来てくれてよかった・・・これでサミットなんてどうなるかと思ったよ・・・」
「もう身体ひとつじゃやってられないよね・・・」
やがて二人の純一郎は、互いの長い指を絡めたまま眠りについた。それぞれの孤独を確かめあうように。
夜。円い船窓から見える街は、闇に覆われていくと共に幾分静かになっていた。
「・・・どうしてついてきたの」
ベッドに腰掛け、軽く酒を煽っていたクローン純一郎がぽつりと呟いた。
クローン純一郎の身体には純一郎と揃いのパジャマが纏わりついていた。ここに来る前に新調したものだ。
「別に。特に意味はないよ。・・・・敢えて言うなら心配だったからかな?」
純一郎は青地に水玉模様のネクタイを外し、Yシャツの釦に手をかけながら答えた。
カラカラというグラスの中の氷の音と、衣擦れの音いくらか狭い部屋に響いた。
そこにCDプレイヤーから流れる音が絡まり、不思議な旋律を生んだ。
「心配?君は俺で俺は君なんだよ?おんなじなんだ。心配する事なんて何もないじゃあないか」
「・・・・・確かにね。でも君は君で俺は俺だ。おんなじだけど、違うんだよ。多分ね。」
「何を言っているのかよくわからないよ。俺はこういう話は苦手さ」
「俺もよくわからないよ」
「・・・・・・おんなじだしね」
「・・・・・・そうだね」

やがてグラスの中の氷は溶け、衣擦れの音も止んだ。
プレイヤーから流れる音も止まり、後には二人の微かな寝息だけが残った。


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